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広島地方裁判所尾道支部 昭和28年(ヨ)94号 決定 1954年1月07日

申請人 神谷勝人

被申請人 帝国人造絹糸株式会社

主文

申請人の申請はこれを却下する。

申請費用は申請人の負担とする。

理由

一、申請の趣旨

被申請人が昭和二十八年十一月十六日申請人に対してなした解雇の意思表示の効力を停止する。

二、当裁判所の判断

(一)  本件解雇に至るまでの経過

疎明によるとつぎの事実が認められる。

申請人は昭和二十四年四月二十三日に被申請人会社三原工場に従業員として入社し、爾後引続き同工場の工員として勤務していたところ、被申請人は昭和二十八年十一月十六日、申請人に右入社に際し右工場就業規則(以下「就業規則」と略称する)第九十九条第一号に該当する所為があつたという理由で申請人を解雇する旨の意思表示をなした。

右就業規則同条同号の規定の内容はつぎのとおりである。

第九十九条 左に掲げる各号の一に該当するときは懲戒解雇に処する。

但し情状によつては軽減することがある。

一、雇入に際して氏名、年令、本籍地、住居、学歴その他履歴等を詐わり、又は不正な方法を用いたとき

そして申請人が、昭和二十一年七月、進駐軍物資不法所持並びに窃盜罪により懲役一年六月の刑の言渡しを受けて、その頃岡山刑務所に一年間服役後、仮出獄した事実、更に右事実を被申請人会社三原工場の入社に際して故意に秘し、被申請人会社に提出した履歴書にもこれを記載せず、右の服役期間を平和生命保険会社岡山支店の外交員であつたかのように装つたことは、申請人の自認するところである。

(二)  本件解雇の効力

申請人は、(イ)本件解雇が、就業規則を使用者である被申請人の一方的な恣意によつて不当に解釈適用してなされたもので、同規則第九十八条第一号、第九十九条但書、被申請人会社労働協約(以下「労働協約」と略称する)第十八条に違反するものであり、(ロ)仮りにそうでないとしても、本件解雇は被申請人の不当労働行為に該当するから、以上いずれよりするも無効である旨主張するので、以下これらについて順次判断する。

(イ)の主張に対する判断

疎明によれば、労働協約第十八条第一項並びに就業規則第九十八条第一号の規定内容はつぎのとおりである。

労働協約第十八条第一項人事は会社がこれを行い、慎重且つ公平なることを期する。

就業規則第九十八条第一号懲戒は事件の軽重に従い懲戒解雇、懲戒解職、出勤停止、減給及び譴責とし左の方法による。この場合、始末書を提出させ、事情によつては工場内に掲示することがある。

一、懲戒解雇は、情状の重い者に対して行うもので、予告を用いないで即時解雇し、解雇手当を支給しない。

そこで申請人は、本件解雇が右の各規定並びに就業規則第九十九条但書の規定の趣旨を全く無視して、申請人の情状を何等考慮することなしに同規則第九十九条第一号を不当に適用したものである旨主張する。

思うに就業規則並びに労働協約がいつたんその成立を見た以上、成立に関与した当事者の主観的な恣意を離れて、客観的かつ公正に解釈適用されねばならないことは申請人の主張するとおりである。ところで右の各規定の中で、労働協約第十八条第一項、就業規則第九十八条第一号は、明らかに本件解雇に適用された就業規則第九十九条第一号に対する関係でいずれも総則的な規定に該当し、この総則的規定の趣旨に沿う範囲内で各則としての個別的な標準を列挙した規定の一つが就業規則第九十九条第一号であると考える。そうとすれば、同号該当の事実は、特別の事情のない限り常に総則規定である就業規則第九十八条第一号にいう「情状の重いもの」に該当し又同号を適用して人事を行う限りは、労働協約第十八条の「慎重且つ公正」を欠いたことにはならないものといわねばならない。そして本件の場合、前記特別の事情に該当するべき事実は見当らない。又、就業規則第九十九条但書にいう「但し情状によつては軽減することがある」旨の規定の趣旨も、前歴詐称がすでに前記判断のとおり、就業規則第九十八条第一号にいう「情状の重いもの」に該当する以上、右但書に重ねていう「情状」とは使用者側に立つ被申請人の立場において一方的に評価されるべき性質のものと解するより他はない(このことは、右但書が被使用者にとつて有利な場合のみについてその適用を規定していることからも裏付けられよう)。したがつて、右但書によれば、前歴詐称は情状の重いものとして当然に懲戒解雇に価いするが、被申請人会社が情状によつて軽減するのを「相当」と認めれば軽減する場合もあるという趣旨に過ぎないもので、この場合にいう「相当」かどうかの判断権は、被申請人側の主観に白紙的に委託されているのである。そうとすれば、被申請人が、申請人の前歴詐称を理由とする本件解雇について右但書を適用しなかつたとしても、それが右規定に違反するものでないことはもとより、又それが客観的に相当でないということを理由に被申請人を責めるのは失当である(もつとも、右但書を適用しなかつた使用者としての被申請人の意図が、他の意味で違法となる場合があることは又別個の問題であつて、この点はつぎに検討するところである)。

したがつて、この点に関する申請人の主張は爾余の判断をまつまでもなく容れることはできない。

(ロ)の主張に対する判断

疎明によるとつぎの事実が認められる。

申請人が勤務していた被申請人会社三原工場には、同工場の従業員によつて組織されている労働組合として帝人三原従業員組合があつて、申請人も入社と同時に右組合に所属したが、同組合は、昭和二十四年頃より漸次労働組合としての性格を弱めて、組合員の労働条件の向上、職場施設の改善等について、組合員の多数意思を反影しての活動にもとかく積極性を欠き、やゝもすれば、たんなる名目上の存在乃至はかえつて被申請人会社の機関としての性格さえもうかゞわれるような状態にあつた。そこで同組合の右傾向について疑念を持つに至つた一部組合員の間に、昭和二十五年末頃より同組合の刷新強化を計ることを目的に、帝人従業員組合刷新同盟なる一グループが結成され、主に本来の労働組合としてもつ正当な主張を積極的になすよう、これをうながすための一役を果してきたようである。そして申請人も右同盟の趣旨に賛同し、昭和二十六年六月頃からこれに所属して、組合活動の促進に多少尽力もしてきたことがうかがわれる。他方、被申請人会社の右同盟員及び積極的な組合活動をなす従業員に対する態度は、相当程度抑圧的な傾向にあつたことが見受けられ、常に同工場所属の専門的な調査機関を利用して、右該当の従業員についての身許調査及び監視並びにその積極的な活動えの間接的な抑圧も行つてきたようである。そして右調査の結果、前歴詐称が発見されて解雇処分になつたもののうちには前記刷新同盟所属のものも二名程数えられた。したがつて被申請人会社三原工場においては、時に或る程度苛酷と思われる労働条件が加せられ、又職場施設に改善を要する事柄があつても、それに対して積極的に労働者の権利を主張することは容易ではなく、多かれ少かれ右について不満をもつものも、会社側の意向に反することをおそれて、その主張を控えるといつた状態にあつたことがうかがえる。申請人は右同盟に所属して活動するかたわら、労働条件の改善に関して、多数従業員の意向を代表して相当程度卒直な態度で会社側に抗議もしてきたようである。したがつて当然被申請人会社側からは前記監視的な、そして注意的な目で見られるような扱いも受け、その結果調査によつて本件前歴詐称を発見されるに及んだ。被申請人は、申請人の前歴詐称が、風評から聞知して調査した結果発覚するに至つたものである旨主張するが、その疎明はいまだに充分でなく、かえつて前記認定の諸事情を考慮するとき、にわかに措信できない。

そこで申請人は、本件解雇が前歴詐称をたんなる表面上の理由にしたものに過ぎず、被申請人会社の真意は、申請人が前記のような同盟に所属し、組合活動を刺激し、又労働条件の改善に関する主張等を行なつたために被申請人会社の意向に反したことを原因とするものであるから、本件解雇は不当労働行為である旨主張する。

前記認定の事実からすれば、少くとも本件解雇を招来する端緒となつた事実は、申請人の刷新同盟員として組合活動を刺激する行為及び労働条件の改善等に関する主張によつて、申請人が被申請人会社側から注意的な目で見られるようになつたため、前記会社機関の調査が開始されたことに基因するものであつたといえる。そしてこのような申請人の所為について他の従業員と差別的な態度にでた被申請人会社の態度は、明らかに非難されるべきことであるし、又申請人を本件解雇に導いた一つの原因も、被申請人会社三原工場が従来とつてきた前記認定の態度から推察して、申請人が主張するような理由が、その一つとなつていることも否定できないところである。

被申請人は、本件解雇が前歴詐称の他に、申請人の平常の勤務状況からも情状酌量の余地のないいくつかの非行があつた旨主張するが、この点については、多分に被申請人会社側の偏見と、粗雑な調査によつて、真実を糊塗した過大評価がなされていることがうかゞえるので、にわかに措信できないところである。

そこで更に、本件解雇の意思表示を被申請人がなすに至つた決定的な要因をなしたのは、前記(イ)の点の認定による申請人の前歴詐称によるものか、又は右認定の理由によるものかの点について考えてみよう。

この点に関する疎明によつて一応認められる事実にもとずいて判断すると、被申請人会社が前歴詐称によつて懲戒解雇の処分にでた従前のいくつかの例からすると、昭和二十四年二月から昭和二十五年二月までの間のものでは、被申請人会社は前歴詐称について相当厳格と思われる態度をとつてきたことがうかがわれ、少くとも入社の採否を決定する経営者としての被申請人側にとつては、前記従前例のうちでは申請人の前歴詐称がもつともその入社について大きな障害となつたであろうことが予想される。したがつて、他の前歴詐称による解雇例と比較して、特に申請人に対する処分が苛酷であつたことは認められないし、かえつて申請人の場合、他に何等の事情がなかつたとしても右の比較においては、当然懲戒解雇に該当する性質のものであつたことがうかがわれる(尤も「前科」という前歴に対する正しい意味での社会的評価という面からの是非は別問題である)。申請人は自己の前歴詐称が情状においてそれ程重いものではなく、かえつてやむを得ない事情として憫諒するべきものがある旨主張するが、これは被申請人の反駁しているように、明らかに申請人の一方的な偏見であつて、経営者側の立場も考慮するとき、人と人との信頼関係に立つてはじめてその成立を可能とする労働雇傭契約の性質上、申請人の前歴詐称は相当程度の高い背信行為である。しかも申請人がこれを秘したのは、もし真実を表明したならば被申請人会社えの入社が可能でなかつたであろうことを予見しての故意に出たものとうかゞえるから、すでに契約成立の当初において相手方を欺くもので、好ましくない行為であつたことは否定できない。そして被申請人会社が本件解雇にでた経過も、それが申請人の前歴詐称を発見するに至つた端緒において被申請人側に責められるべき理由があつたかも知れないにしろ、本件解雇の意思表示をなすに至つたのは、その後の慎重な調査をとげた結果、申請人の前歴詐称が明確になつたときはじめてなされたものであつたこと、そして右の意思表示は他の処分例に比較して、仮りに申請人側にその主張のような事情がなかつたとしても、当然それだけで懲戒解雇に価するような事由に該当するものであつたこと等の事情を綜合すると、本件解雇の終局的、決定的な原因をなしたのは、結局申請人の前歴詐称にもとずくものであつたものと認められる。したがつて申請人主張のような理由が本件解雇の一部の理由になつていたとしても、被申請人が前歴詐称をたんなる表面上の理由として仮装したものであるということはできない。もつとも、右の比較の対象とした解雇の各処分例のうちには、その解雇が或いは不当労働行為に該当するのではないかという理由でその効力に疑念のもたれるものも一、二ないではないが、仮りにそれらの該当例を除いたその余の処分例との比較、並びにそれを離れた客観的な評価にもとずいても、本件解雇の場合に関しては前記の判断を異にするものではない。

そうとすれば、本件解雇の決定的要因が前記のとおり正当な就業規則の適用にもとずく処分結果である限り、本件解雇は正当になされたものというべきであるから、この点に関する申請人の主張もまた理由がないものといわねばならない。

(三)  結論

以上の次第で、申請人の本件申請はいずれよりするも理由がないからこれを却下し、申請費用については敗訴の当事者である申請人に負担させることとして、主文のとおり決定する。

(裁判官 円山雅也)

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